カポエイラの中のスタイルの違いを超えて、一つの「カポエイラ」として考えたり話したりすることに意味はあるのか?というお題を立てました。
 
結論から言うと、「一枚岩とは言えないけど、それでもカポエイラ全体として扱うことに意味はある」というのが私の考えなのですが、そう思う理由を4つあげています。