カポエイラとは(o que é capoeira?)
カポエイラは、ブラジルの黒人奴隷が編み出した戦闘ダンスです。
踊るようなステップから蹴りやアクロバットを繰り出しますが、直接技を相手に当てないので、男性も女性も子供も大人も一緒に楽しめます。
歴史(história)
そもそもカポエイラとは、16世紀以来アフリカからブラジルへ奴隷として連れてこられた黒人たちが、主人の虐待から身を護るために、あるいは休み時間に仲間とふざけ会うために編み出した護身術/遊びだと言われています。
それが黒人奴隷を始め、ブラジル生まれのムラート(黒人と白人の混血)やポルトガル人の下層労働者たちに広まりました。町の治安を脅かす様々ないざこざにカポエイラをする人々が関わりはじめ、その取り締まりは長い間警察当局の悩みの種でした。そしてついに帝政から共和制に変わった1889年、新政府のデオドロ・ダ・フォンセカ将軍は、カポエイラを犯罪として刑法に規定してしまいます。
今日のカポエイラの発展につながるスポーツ化の動きは1930年代以降に始まりました。メストリ・ビンバは伝統的なカポエイラに他の格闘技の要素を加えたカポエイラ・ヘジオナウを創始し、体系的な練習方法、ユニフォームや昇級制度の導入など、近代スポーツの土俵にカポエイラを乗せます。一方メストリ・ノローニャ、パスチーニャといったメストリ達は、伝統的なスタイルにこだわった形でカポエイラのイメージ・アップを図り、カポエイラ・アンゴラという名の下に結集しました。
70年代、80年代に入るとビンバ、パスチーニャの弟子世代が、よりよい就職先を求めてサンパウロやリオ・デ・ジャネイロに移住し、結果としてバイーアのカポエイラを広めていくことになりました。そこで連盟が創設されたり、腰帯の導入やうまくいきませんでしたが技の名称の統一化などが図られます。さらには外国へカポエイラを普及する人材もサンパウロやリオにいた若者たちの中から輩出されました。
そして21世紀の今日、カポエイラはブラジルを代表するスポーツ文化として世界中に愛好者が増え続けています。日本でも1990年代半ばからグループが現れ始め、今日では北海道から沖縄まで60を超える団体が活動しています。
競技ルール(regra)
便宜上「競技」という言葉を使いましたが、スポーツ種目として確立されていないカポエイラには、全国的に統一された技の名称やルールブックの類が存在しません。したがって各グループが内輪で行うものを除いて、基本的に試合とか競技大会がありません。
ブラジル・カポエイラ連盟という組織も存在はするのですが、何しろ加盟団体が圧倒的に少数で、カポエイラ全体を統制する力を持ちえていないのです。というわけで地域やグループによって様々なオリジナルのルールがあったりしますが、ここではどのグループにも共通するエッセンスだけを紹介します。
カポエイラは、楽器の伴奏と歌に合わせて2人が戦うゲームです。戦うといっても相手に直接当ててノックアウトするようなことはなく、少し離れた間合いから相手をかすめるように技を出したり、たとえ当てられる距離の時でも寸止めをします。ですから厳密には戦いのシミュレーションですね。真剣勝負ではなく、ゲームなんです。ここに男性も女性も、子供も大人も一緒に楽しめる秘訣があります。
プレーヤーはジンガと呼ばれる基本ステップから多彩な蹴り技やアクロバットを繰り出します。攻撃の手段としては足技が中心ですが、逆立ちや側転のときに上体を支えたり、相手の注意をそらす「おとり」として腕もしっかり使います。防御は基本的に体全体のさばきです。どうしてもさばきが間に合わない場合、最終手段として攻撃を手で払うことはありますが、空手などのように、相手の蹴りを手でがっちり受けるということはしません。蹴りに加えてカポエイラの特徴的な武器は、ハステイラ(足払い)とカベッサーダ(頭突き)です。
体のスイングや変則的なステップで相手を撹乱し、相手のバランスの崩れにつけ込んで攻撃をします。相手の蹴りをかわしきれなかったり、実際に足払いをもらって転ばされてしまった時が「負け」です。しかしながら判定をする審判がいるわけでもなく、どちらが何度「負け」ても2人が納得するまでゲームは続きます。ボクシングのように1ラウンド3分などという時間制限はありません。
このような戦闘ゲームは、ビリンバウ、パンデイロ、アタバキといった民族楽器のリズムとポルトガル語の歌に合わせて行われます。 したがっていかにリズムと調和し、それを体全体で表現できるかということがカポエイラの上達には非常に重要です。上級者の動きには無駄がなく、まるでバレリーナのような美しいシルエットを描きます。
ホーダ(roda)
カポエイラのゲームをする場、その集まりのことをホーダ(輪)といいます。プレーヤーや観衆によって囲まれた円の中で行うのでそう呼ばれるのですね。
ホーダは大きく3つの部分から成ります。すなわち楽器を弾く人たち、ゲームをする2人のプレーヤー、円を囲む取り巻きの人たちです。取り巻きの人たちはただ立っているだけではありません。歌のコーラスを歌ったり、手拍子を入れたり、ホーダのエネルギー維持に重要な役割を担っています。そして全員が役割を交代しながらホーダが進行します。ゲームを終えた人は楽器を弾き、取り巻きで控えていた人がゲームをし、楽器を弾いていた人が取り巻きに入るという具合にぐるぐる循環して行きます。
カポエイラには試合がないと書きましたが、このホーダがいわば本番です。ホーダで楽しむために、ホーダでよりよいパフォーマンスができるために私たちは日々の練習を積み重ねています。もちろん練習するのは技の攻防だけではありません。歌や楽器の練習も不可欠です。
ブラジルの多くのグループは、週に1回ホーダの日を設けています。さらに地域によっては伝統的なストリート・ホーダというのがあって、様々なグループから腕自慢(足自慢?)たちが集まってカポエイラを楽しんでいます。サンパウロではヘプーブリカ広場、リオではカシアスのホーダ、サルヴァドールではメストリ・ルーア・ハスタのホーダが有名です。
アンゴレイロス・ド・セルタゥン名古屋では毎月第2日曜日にホーダの日を設けています。